露天神社(つゆのてんじんしゃ)は、大阪の曽根崎地域にある神社で、お初天神と呼ばれています。祭神は大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真の五柱の神様を祀っています。梅田の周辺で神社仏閣をお参りしたいという時は露天神社は有力候補になりますよ。
お初天神 露天神社の概要
創建は西暦700年頃で、もともとこの場所は大阪湾に浮かぶ孤島で曾根崎洲と呼ばれていて荒れた土地でした。平安時代から鎌倉時代にかけて行われていた「難波八十島祭」旧跡の一社である「住吉住地曾根神」を祀っていたそうです。
露天神社の社名は「露の時期に神社の前から井戸の水が湧き出た」というところから来ているといわれているほかに、菅原道真が太宰府へ左遷される途中に都をしのんで「露とちる 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば」という歌を詠んだところからきたとも言われています。
祭神に天照皇大神として祀っていた点から、難波神明社と呼ばれ、日本七神明の1つとも数えられていました。日本七神明は、東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮の7つです。
近世には摂津国西成郡曾根崎村の氏神になり、市民に広く親しまれる神社となります。そして、1703年には近松門左衛門のモデルとなった有名な曽根崎心中事件が起こります。堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が露天神社の裏手にある天神の森で、結ばれない恋を嘆いて心中を遂げます。
当時の境内は約560坪の広さがあり、裏手は曽根崎の森、天神の森の名のごとく、鬱蒼とした森になっていました。現在の露天神社は当時の神社より狭くなっていますが、それは太平洋戦争で傷んだ社殿の復興のため境内を切り売りしたからです。太平洋戦争で大阪駅方向から飛来した飛行機の機銃掃射の跡が拝殿前の石柱に残されています。
2人の心中事件は近松門左衛門によって、人形浄瑠璃『曽根崎心中』となったところ、当時大きな話題を呼び、ヒロインのお初にちなんで露天神社はお初天神とも呼ばれるようになりました。そして、2013年には地域活性化支援センターより「恋人の聖地」に選ばれ今では恋結びの神社として、すっかり観光スポットとなりました。お初と徳兵衛のブロンズ像が飾られていて、写真スポットも用意されています。
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